”漢詩はキライ”なはずのあなたへ
実は私、もともと詩はキライだった。詩は短いからつまらない、物語の方が断然いいと思っていた。「平家物語」とか「太平記」とか、何巻も続くような物語だったら、いっそうわくわくした。ずっと読み終わらなければいいのに、とさえ思ったものだ。
ところが、ふと気がつくと詩吟を生業にしていて、漢詩のコラムなんかを書いていた。機関誌の『中国月報』に、すき間埋めのための短い記事を、1999年7月号から書き始めた。「一行漢詩」というタイトルで、始めはホントに一行。数えれば、175回151題の漢詩や和歌を取り上げていた。その上、自分から企画を持ち込んで、1992年7月から2010年3月まで、玉島テレビ放送で『漢詩のある風景』という番組の制作にかかわった。単純計算で、毎月4題とりあげたとして、612編の詩を取り上げたわけだ。もう、詩がキライ、とはいえない。
今では、詩吟のおかげで出会った、詩や美しい言葉の魅力に、すっかりハマっている。迷いながら歩いてきたささやかな人生の中で、詩のことばは、友のように一緒に泣き、超人のように道を示してくれた。もしあなたも、時に孤独を感じる人ならば、漢詩を読もう!仲間は大勢いる。数え切れない先人も、私も。(河田千春)