空想の翼はどこまでも、項羽と虞美人の悲恋

紀元前200年頃、かなり古い詩なので平仄関係なく自由にうたっています。『垓下の歌』

垓下の歌   項籍

力山を抜き 気は世を蓋う(チカラ ヤマを ヌき キは ヨをオオう)
時に利あらず 騅逝かず(トキに リあらず スイ ウかず)
騅逝かざる 奈何すべき(スイ ユかざる イカンすべき)
虞や虞や 若を奈何せん(グや グや ナンジを イカンせん)
虞美人草

 ところは中国、時は紀元前200年頃、漢の王朝が立てられる直前に、大きな政権争いがあった。血統正しく、傑出した武将、超本命だった項羽(項籍)VS庶民出身で、中年になるまで読み書きさえできないゆる~い人物劉邦の闘い。ところが結果は、劉邦が勝ち、漢王朝の祖となった。
 項羽にとって最期の闘いとなったのが、垓下の闘いである。
 その項羽には、虞美人という愛妃がいつも寄り添っていた。垓下で劣勢となり、死を覚悟した項羽は、思いあまって、夜中床から起き出し、「力山を抜き・・」の詩を静かに歌った。愛妃虞美人の命を守る方法は、劉邦に、虞美人を戦利品として渡すことのみ。「虞よ、おまえをどうしたらいいだろうか」深く悩む項羽を前に、虞美人は深く一礼すると、歌(「力山を抜き・・」の詩吟)に合わせて舞い始めた。
(私の心はとっくに決まっていますわ。足手まといにはなりません。最期まであなたのおそばにいます)
 戦の最前線にいる彼女の出で立ちは男装、剣をとって舞う姿は、水のように嫋やかだった。吟が終わると同時に、持っていた剣で自刎する虞美人。たちまち、地は赤々と染められた。
 戦は終わり、世は劉邦の時代に変わったが、不思議なことに、虞美人が果てたその地には、毎年虞美人の血のように真っ赤な花が咲くようになった。その花びらは、まるで虞美人が最期の剣舞を舞っているかのように風に揺れた。いつしか人々は、この花を虞美人草と呼ぶようになった。

 空想の翼は羽ばたき、今年私は虞美人草の種を植えた。「虞美人の血のように赤いケシの花で庭を埋めるんだわっ」ところが咲いたのは、写真のような色とりどりのポピー。ピンクやオレンジの血ぃ流してどうする!(﨟泉 河田千春)